第6章 資源調査と蒸留術の移転



財政状況が厳しさを増す中、寛文3[1663]年に「女中衣類直段之定」が定められ、生活必需品以外の消費を抑制する流れが強まり、動物、楽器、時計、赤珊瑚など高価な品々の輸入も禁止された。しかし、医薬品の輸入制限は医療現場でさまざまな問題を引き起こすおそれがあるため、国内で生産や製薬が行えるようにする必要があった。寛文7[1667]年には「皇帝(=将軍家綱)と帝国顧問官は、植物学と薬油蒸留に詳しい人物が日本へ派遣されることを望んでいる」との要請が新商館長シックスと前任者のランストに伝えられ、また蒸留器と繁殖用のさまざまな苗の注文も出された。「帝国顧問官」とは、かつて外科医カスパルの治療を受け、西洋医術の導入を積極的に進めていた老中稲葉正則である。
バタフィア総督府は幕府の要請に素早く反応し、翌年から数年にわたって薬草の種子と苗を送り、調剤助手ヘック(Haeck)、薬剤師ブラウン(Braun)、さらにこの任務のためにオランダで採用された「医学博士、薬草熟知者、蒸留師及び化学者」ヴィレム・テン・ライネ(Willem ten Rhijne)を次々と長崎へ赴任させた。この3人は日本人とともに長崎近郊の山野での薬草調査を実施し、納品された種苗に関する説明を行った。彼らが見つけた約50種の有用植物の記録は長崎奉行に提出された。
寛文11[1671]年にブラウンは持参した蒸留装置を幕府の経費で建てられた「油取家」に設置し、茴香油、丁子油、肉豆蒄油、樟脳油など一連の薬油蒸留法の教授を行った。参加した日本人はその製薬法を短期間で習得した。舶来薬草の栽培は知識不足や異なる気候のために期待された成果は上がらなかったが、薬油蒸留の技術移転は成功した。また日蘭合同の薬草調査によって、中国の本草書の知識だけでは日本の植物を十分に把握できないことが判明し、日本独自の本草学への布石となった。

1. 蘭方秘訣

[寛文12[1672]年成立]、[書写者不明]、[書写年不明]
九州大学医学図書館所蔵(ミヒェル文庫/394) 【 精細画像

蘭薬製法秘録

西洋製薬術の導入。
寛文11[1671]年に幕府が注文した大型蒸留器が出島に到着し、出島の敷地内に建てられた「油取家」内に設置された。翌年の春に薬剤師フランス・ブラウン(Frans/Franz Braun)が薬油蒸留に関する教授を開始し、その3ヶ月後には彼の教えを受けた日本人が数種の薬油を自力で製造できるようになった。6名のオランダ通詞がまとめた報告には、単純な蒸留法から7日間を要する複雑な樟脳油の製造方法の説明までが記され、また大型の釜、冷却装置、各種の容器など器物の図も見られる。この報告は19世紀まで繰り返し写されていた。



2. 南蛮流油製之和解秘事之傳

(標題紙書名は「油水秘伝 全」、[書写者不明]、奥書に「文久2[1862]年」とあり)
九州大学医学図書館所蔵(ミヒェル文庫/432/1862) 【 精細画像

南蛮流油製之和解秘事之傳

薬用油の製造法、その特徴および使用法。
名称のほとんどはラテン語で、オランダの薬局方に由来する。



3. ランビキ(蘭引、羅牟比岐)

30×40cm〔個人蔵〕

ランビキ(蘭引、羅牟比岐)

江戸時代に薬油、香水、酒類を蒸留するのに用いた3段重ねの小型蒸留器。冷却装置はアラブ人の発明によるものである。16世紀に東南アジアから琉球王国経由で薩摩に伝わったとされるが、ポルトガル人も普及に貢献したと思われる。もとは銅製だったが、日本で陶製のものが誕生した。

断面図

  • 断面図
  • 断面図


4. 蘭薬製法秘録 全

[成立年不明]、[書写者不明]、[書写年不明]
九州大学医学図書館所蔵(ミヒェル文庫/393) 【 精細画像

阿蘭陀油並水薬之様

兜釜(かぶとがま)蒸留器。
16世紀末から17世紀初頭にかけて、おそらく朝鮮半島を経由して、モンゴル・中国式の蒸留器が日本に伝わった。このような蒸留器は蒸留酒の製造に広く用いられた。木製の樽の底の鉄鍋に酒のもととなるもろみを入れ、樽の上に兜と呼ばれる円錐型の蓋を乗せて冷却水を入れる。熱せられて気化したアルコールが蓋で冷やされ液体となり、兜の先端から真下にある受け皿で回収される仕組みである。この大型の蒸留器は明治期まで焼酎製造業で利用されていた。



5. 證治指南附録 天(しょうじしなんふろく てん)

[寛文10[1670]年成立]、[書写者不明]、[書写年不明]
九州大学医学図書館所蔵(ミヒェル文庫/103/[1670]) 【 精細画像

證治指南附録 天

阿蘭陀薬草効能之書
寛文10[1670]年に薬剤師ゴットフリード・ヘック(Godefried/Gottfried Haeck)が長崎近郊の山野で見つけた薬草について、高位の通詞たちが報告をまとめ、長崎奉行所に提出した。この写本にはヘックや通詞たちの名なども記されており、当時の報告の本来の形を示す唯一の史料である。



6. 蘭方草木能毒集 乾

[書写者不明]、[書写年不明]
九州大学医学図書館所蔵(ミヒェル文庫/109/[1---]) 【 精細画像

蘭方草木能毒集

調査成果の総まとめ。
「蘭方草木能毒集」には薬剤師ヘックとブラウンが寛文10[1670]年および11[1671]年に行った調査の成果である59種の植物が収録されているが、日付や通詞の名は記されていない。



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