第4章 カスパル流外科の元祖カスパル・シャムベルゲル



日蘭医学交流は慶安3[1650]年を境に一気に本格化する。三十年戦争で経験を積んだドイツ人外科医カスパル・シャムベルゲル(Caspar Schamberger, 1623-1706)が特使フリジウス一行の江戸参府中に大目付井上筑後守政重らの注目を集め、10ヶ月にわたって江戸に長期滞在し、幕府の関係者に強い印象を残した。翌1651年から東インド会社は医薬品、医科器械、医書などの注文を継続的に受け、歴代の商館医は長崎と江戸で医学と医療の教授を行うようになった。また、そのような場に立ち会う「オランダ通詞」の中から、猪俣伝兵衛、本木庄太夫、楢林鎮山、西玄甫など西洋医学を志す者たちも現れ、シャムベルゲルの教えを「カスパル流外科」として後世に伝えた。

1. カスパル・シャムベルゲル

W. Michel: Von Leipzig nach Japan. Iudicium, 1998 より【 所蔵情報
原画はライプツィヒ市博物館蔵

カスパル・シャムベルゲル

晩年の肖像画。
日本では「カスパル」の名で知られるカスパル・シャムベルゲル(Caspar Schamberger,1623-1706)は、日欧の継続的な医学交流が始まった時期に歴史的な役割を果たした。30年戦争中にドイツで生まれたシャムベルゲルは、17才のとき外科医ギルドで外科医の資格を取得し、軍医としてさらに経験を積んだ。慶安2[1649]年に商館医として来日し、慶安3[1650]年に特使フリジウスの使節に随行したシャムベルゲルは、かねてから西洋の科学技術に深い関心を持っていた大目付・井上筑後守政重から高い評価を受け、日本人医師に医学を教授したり、身分の高い患者の治療にもあたった。計10ヶ月間におよぶ江戸滞在は、19世紀に至るまでヨーロッパ人としては最長のものであった。翌年の出島商館長の江戸参府でシャムベルゲルは再び大目付らとの交流を深めた。江戸と長崎において通詞を務めていた猪俣伝兵衛が大目付と長崎奉行のためにまとめた報告の写本はさまざまな表題で広く流布し、「カスパル流外科」の基本文献となった。
慶安4[1651]年にシャムベルゲルが離日して間もなく、江戸から医薬品、医療道具、解剖書、本草書などの注文書がオランダ商館に届いた。社会の上層部に芽生えた西洋医術に対する関心はその後も衰えることはなく、商館医たちは代々長崎と江戸で医学の教授を行うようになった。



2. ヨーロッパの体液病理論

ヨーロッパの体液病理論

人間と自然との調和を重視していたヒポクラテスら古代の医学者は、紀元前5世紀の自然哲学者・医師エンペドクレスの「万物が火、風、水、土の元素からなる」という四元素説を引き継いだ、四体液説を唱えた。「人間の体内には栄養摂取による物質代謝の産物である血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁という四つの原液があり、正常な混合状態ならば健康であるが、バランスが崩れると病気が発生する。変調をきたす原因となるのは、環境や生活様式、体質である」とする、この体液病理論は17世紀になってもまだ強い影響力を持っていた。



3. 阿蘭陀外科書 全

[慶安3[1650]年頃成立]、[書写者不明]、[書写年不明]
九州大学医学図書館所蔵(ミヒェル文庫/98) 【 精細画像

阿蘭陀外科書 全

体液病理論の概要。
商館医カスパル・シャムベルゲルの説明に基づいて通詞がまとめた体液病理論の概要。理解できなかった用語はそのままカタカナ表記で書き留められている。
出島商館の通詞はオランダ語よりもポルトガル語が得意だったので、南蛮人が追放された後も、シャムベルゲルはポルトガル語でも指示を出していた。

モル humor(ラ)、humór(ポ) 体液
サンキ sanguis(ラ)、sangue(ポ) 血液
コレラ cholera(ラ)、cólera(ポ) 黄胆汁
ヘレマ phlegma(ラ)、fleuma(ポ) 粘液
マレンコンヤ melancholia(ラ)、melancolia(ポ) 黒胆汁



4. 熱寒風痰見様・熱寒風痰療治・阿蘭陀膏薬能毒

[書写者不明]、[書写年不明]
九州大学医学図書館所蔵(ミヒェル文庫/37/[1---]) 【 精細画像

熱寒風痰見様

体液病理論に基づくカスパル流診断法。
初期の紅毛流の書物は、後世の人々によって大きく改変されることが多かった。内容を省略したり、増やしたり、別々の報告書を一冊にまとめることもあった。そのため、カスパルの名が見られない「カスパル流文書」が存在し、逆に彼の名が記載されていても、その内容は別の系統のものであることも珍しくない。この書もカスパルの名は記されていないが「カスパル流文書」である。



5. 外科加須波留方 巻之1-巻之2

河口良庵校正、[書写者不明]、[書写年不明]
九州大学医学図書館所蔵(ミヒェル文庫/25/[1---]) 【 精細画像

外科加須波留方

カスパル流医術を広めた唐津藩医・河口良庵。
初期紅毛流(カスパル流)外科の伝播において特に重要な役割を果たした人物に唐津藩土井家の医師河口良庵(春益、1629-1687)がいる。カスパルと出島で出会った良庵は1650年から約20年にわたり歴代商館医に西洋医術を学び、その知識を広めるために尽力した。現存のカスパル流写本の多くに良庵の名が見られる。
藩医として代々土井家に仕えた河口家の4代目河口信任(1736-1811)は人体解剖の先駆者の一人として名を残した。



6. De humani corporis fabrica libri septem

Andreas Vesalius: Basileae, 1555
九州大学医学図書館所蔵(WZ 240/V 575/1555) 【 精細画像

Vesalius: Fabrica

画期的な解剖書。
慶安3[1650]年に「紅毛流外科」の元祖カスパル・シャムベルゲルが江戸に10ヶ月間滞在して以降、江戸からオランダ商館宛ての注文状には、西洋の医薬品や医療道具とともに「ポルトガル語の解剖書」や「内臓などを鮮明に見られる人体解剖模型」などが記されるようになった。明暦2[1656]年にバタフィアからヴェサリウスの解剖書『人体の構造についての七つの書(De Humani Corporis Fabrica Libri Septem)』が納品された。
近代解剖学の父と言われるアンドレアス・ヴェサリウス(Andreas Vesalius, 1514-1564)はガレノス(129頃-216頃)ら古代解剖学の権威の数多くの誤りに気づき、古来の定説に頼らず、独自の方法で人体の構造を解明する道を切り開いた。この本は当時の解剖学における最も正確な挿し絵と、最も包括的な解説を誇る画期的な著作であった。

豚の生体解剖

Andreas Vesalius: De humani corporis fabrica. Basel, 1555 より

豚の生体解剖

ヴェサリウスはギリシャの医学者ガレノスが行っていた生体解剖を教育目的だけでなく、本格的な研究方法として復活させた。『人体の構造』に掲載されていた豚の生体解剖図や関連の記述に刺激を受けた大目付井上政重からの要請によって、万治2[1659]年および3[1660]年に外科医デ・ラ・トンブ(Steven de la Tombe)が井上の屋敷で豚の解剖を行った。



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