第5章 「紅毛流外科」の普及



江戸時代の日蘭医学交流において主導権を握っていたのは東インド会社ではなかった。カスパル・シャムベルゲル以降も後任の商館医の大半が江戸の大名屋敷に呼ばれて治療や医学の教授を行った。しかし将軍に拝謁するため毎年参府する商館長一行の江戸での滞在期間は短かったため、1650年代には有力大名の典医たちが長崎へ派遣され、オランダ商館で通詞を介して商館医の指導を受けるようになった。寛永9[1632]年から万治元[1658]年まで大目付として日蘭交流の仲介役を務めた井上筑後守政重や、明暦3[1657]年から天和元[1681]年まで老中、老中首座、大政参与を務め、西洋の科学技術に強い関心を寄せた稲葉美濃守正則も、このような活動を積極的に支援した。出島のオランダ通詞は当時納品された医書をまだ解読できなかったので、商館医たちは約半世紀にわたって本の内容を解説し、医療現場で実際に治療術を見せるなど、紅毛流外科の基盤形成に多大な貢献をした。商館医の教授に基づいて通詞や日本人医師が作成した記録の多くは19世紀に至るまで参照され続けた。

1. 紅毛秘傳外科療治集 5巻 (存1巻)

中村宗興(そうよ)、洛陽[=京都]、貞享元[1684]年刊
九州大学医学図書館所蔵(ミヒェル文庫/410/1684) 【 精細画像

紅毛秘傳外科療治集

紅毛流外科は当初は門外不出の「秘伝」とされていたが、1670年代になると3冊の紅毛流医書が出版され、多くの治療法、医薬品などが一般に知られるようになった。貞享元[1684]年刊『紅毛秘伝外科療治集』の序文によれば、その編著者中村宗興は京都に移り住んだ長崎の人である。彼は冒頭で各巻の内容や背景について概観し、この書の内容は、彼が西洋人から直接指導を受けたり、彼らの医術を知っている人に学んだりしながら、自身でもその有用性を確認したものであることを述べ、この「人生の収穫」を紅毛人の言葉や文字が分からない世間の人々と分かち合いたいという気持ちを伝えている。



2. 證治指南付録 地(しょうじしなんふろく ち)

[延宝2[1675]年頃成立]、[書写者不明]、[書写年不明]
九州大学医学図書館所蔵(ミヒェル文庫/104/[1674]) 【 精細画像

證治指南付録 地

若き秀才テン・ライネ(レイネ)博士。
東インド会社は幕府の要請に応じて1674年に内科医のウィレム・テン・ライネ(Willem ten Rhijne, 1647-1700)を長崎に派遣した。日本人医師が用意した数々の質問に対してテン・ライネは詳しい説明を求められたが、通詞たちは医学の専門知識に乏しく、苦労している様子が見て取れた。現在では、彼らがまとめた報告書(1675年1月14日付)の内容が、2冊の写本にのみ残っている。
延宝2年12月19日は西暦1675年1月14日に相当する。

  • ウィレム・テン・ライネ博士の肖像画

    ウィレム・テン・ライネの肖像画

    Wilhelm ten Rhijne: Dissertatio de Arthritide. Mantissa Schematica. De Acupunctura. Et Orationes Tres. London, 1683より

  • 本木良意夫妻絵像

    本木良意夫妻絵像

    本木庄太夫良意 (1628-1697) は17世紀の出島オランダ商館で、医学問題に関して最も重要な通詞の一人であった。テン・ライネは日本滞在中、王唯一著の「銅人腧穴鍼灸図経」という中国の名書を入手し、庄太夫及び岩永宗古に説明してもらい、その主な内容を1683年刊行の論文集『関節炎論文。鍼術について(Dissertatio de Arthritide: Mantissa Schematica: De Acupunctura: Et Orationes Tres.)』に取り入れた。
    掛け軸(17世紀)。九州大学久保記念館蔵



3. 紅毛流外科書に見られる膏薬方

紅毛流外科書に見られる膏薬方

商館医カスパル・シャムベルゲルの通詞猪俣伝兵衛が慶安3[1650]年にまとめた報告に遡る写本である。体液病理論の概観、腫物の分類、膏薬(emplastrum)、軟薬(unguentum)について説明されている。薬方は1636年のアムステルダム薬局方(Pharmacopoea Amstelredamensis)に基づいている。



4. 阿蘭陀外科指南 五巻

出雲寺和泉掾、宝永2[1705]年刊 〔初版は元禄9[1696]年〕
九州大学医学図書館所蔵(ミヒェル文庫/417/1705) 【 精細画像

阿蘭陀外科指南

学術用語の解説。
17世紀には西洋語の専門用語は一貫してカタカナで表記されていた。これらは商館のオランダ通詞や一部の医師にしかわからないものなので、さまざまな単語帳が出回っていた。そのうちの一冊が『阿蘭陀外科指南』に収録されている。17世紀中頃に伝わった名称はポルトガル語に由来するものが多かった。その後はラテン語とオランダ語由来のものが増えている。



5. 阿蘭陀カスバル伝神文之事

明和8[1771]年
九州大学医学図書館所蔵(ミヒェル文庫/482) 【 精細画像

阿蘭陀カスパル伝神文

カスパル・シャムベルゲルから伝わった治療法や治療薬などを秘密にすることを、新間道敬が明和8[1771]年に師の桜井尚友軒に誓ったものである。名目上カスパル流外科は19世紀まで続いていたが、その内容はカスパル流が誕生した17世紀中頃の水準を遙かに超えるものだった。



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