第3章 雑誌編集と文学活動

 

【雑誌編集と文学活動】

 久保は多忙な傍ら雑誌の編集にも情熱をもって携わった。明治40年(1907)に「福岡医科大学雑誌」が創刊され、雑誌部長に就任したほか、「九大医報」「耳鼻咽喉科」などの医学雑誌の編集も行った。「福岡医科大学雑誌」の発刊の辞では「包めども溢れ、抑ふれども展びむとするは、活気ある人のエネルギーにあらずや。発しては詞となり文となる。抑も大学は専門的に成熟せる及びせむとする頭脳の集合せる所、即ち大なるエネルギーの塊なり。大議論大文章なかるべからず。」と述べている。また、昭和8年(1933)日本初の「日本耳鼻咽喉科学全書」の編集・発行は大きな功績として挙げられる。 
 久保は妻より江とともに歌人としても有名であり、多くの短歌や俳句を遺し、自邸には歌人の柳原白蓮をはじめ、多くの文化人が集まり、福岡のサロンの中心となった。また、大正2年(1913)には福岡初の文芸誌『エニグマ』を発刊し、後の九州文壇の淵源となった。「福岡日日」「九州日日」「九州日報」など地元新聞や医学雑誌等にエッセイなどを投稿していたこともある。

福岡醫科大學學友會雜誌部 [編]『福岡医科大学雑誌』

福岡醫科大學學友會雜誌部 [編]: 福岡醫科大學雜誌
[福岡] : 1907-1939
九州大学医学図書館所蔵 【 所蔵情報

『福岡医科大学雑誌』創刊号表紙

 


 

『エニグマ』

エニグマ
福岡 : 南社/福岡 : 博文社 (發賣)
九州大学中央図書館所蔵 (檜垣文庫/46/Ma 13) 【 所蔵情報

『エニグマ』1914年8月号表紙

 『エニグマ』は、久保を中心に九州帝国大学の医学部教官・学生を中心に編集・発刊された文芸同人誌であり、福岡の近代文学史の源流として位置づけられている。大正2年(1913)から4年の間に20号前後発行されたが、ほとんど残っておらず、「まぼろしの雑誌」と言われている。

 


 

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