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第2章 帝国大学時代 -耳鼻咽喉科学の黎明-
【帝国大学時代 -耳鼻咽喉科学の黎明-】
久保が活躍した明治中期~昭和初期は、耳鼻咽喉科学の黎明期であった。日本で耳鼻咽喉科が分化し発達したのは産科や眼科等他の科と比べて遅く、明治20年代以降とされる。それまでは内科や外科の一部として診療や講義が行われていた。明治32年(1899)に東京帝国大学に耳鼻咽喉科学講座が設置され岡田和一郎が担任した。猪之吉は同医科大学を翌33年に卒業後翌年より助手となった。ドイツ留学を経て明治40年(1907)、九州帝国大学の前身である京都帝国大学福岡医科大学の初代耳鼻咽喉科教授に就任した。
久保は日本に初めて気道および食道内視鏡検査法を導入してその普及発達に努めた。また無響室の建設や声音言語障害治療部の創設など、斯界の将来を見通す卓見があった。文筆活動も盛んで生涯で500以上の論文を発表し、子弟への指導は厳しく「君勉強し給え」と口癖のように激励していたという。九大の「イノ・クボ」のもとで学ぼうと、世界中から留学生が集まった。
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