耳鼻咽喉科学教室



開設:明治40年(1907)1月10日
初代教授:久保猪之吉(在任期間:1907-1935)

 久保猪之吉は、日本に初めて気道および食道内視鏡検査法を導入してその普及発達に努めた。また無響室の建設や声音言語障害治療部の創設など、斯界の将来を見通す卓見があった。九大の「イノ・クボ」のもとで学ぼうと、世界中から留学生が集まった。
 久保は妻より江とともに歌人としても有名であり、多くの短歌や俳句を遺し、自邸には歌人の柳原白蓮をはじめ、多くの文化人が集まり、福岡のサロンの中心となった。また、大正2年(1913)には福岡初の文芸誌『エニグマ』を発刊し、後の九州文壇の淵源となった。
 久保が耳鼻咽喉科教室に蒐集した蔵書の多くは、日本初の医学博物館である久保記念館に残されている。久保の個人蔵書は没後売立により散逸したが、泌尿器科教室(主任教授授高木繁)や岩熊哲ら久保を慕う関係者により一部の図書が購入されている。

  • 久保猪之吉"

    久保猪之吉
    (1907年卒業記念アルバムより)

  • 耳鼻咽喉科"

    耳鼻咽喉科
    (1931年九州帝国大学医学部附属医院要覧より)

旧蔵コレクション

1. 外科古伝(げかこでん)

長嶋元長写 天保13[1842]写
九州大学医学図書館所蔵(和漢古医書/ケ-31)【 精細画像

外科古伝


 19世紀の蘭学塾「蘭秀堂」で写されたこの写本の第1・2巻は、儒医向井元升が1656年末にまとめた腫瘍の治療法について述べているが、第3巻は、阿蘭陀通詞兼蘭方医だった吉雄耕牛(1724-1800)に遡る単語集である。耕牛は、吉雄流紅毛外科の創始者として家塾「成秀館」を設立し、多数の門人を育てながら、当時一流の医師、蘭学者に大きな影響を与えた。『外科古伝』の見出し語は、いろは順で整理されているが、ラテン語とオランダ語とともに、galinha (雌鳥)、cravo(丁子)などのポルトガル語が確認できる。Anatomia(解剖、解剖学)は、中国医書に見られる経絡図(図法師、経絡銅人形)として説明されている。
 耳鼻咽喉科教室では、長嶋元長旧蔵和訳蘭書写本を昭和9年に雄松堂からまとめて購入している。

 参考文献


2. 布歛巳外科書(ぷれんきげかしょ)

長嶋元長写 天保12[1841]写
九州大学医学図書館所蔵(和漢古医書/フ-48)【 精細画像

布歛巳外科書


 オーストリアの医学者布歛巳(Plenck, Joseph Jakob Edler von 1733-1807)は外科学、眼科学、婦人科学、小児科学等の教科書を著し、それらは各国語に訳され広く使われた。著作の蘭訳本は多く日本に入って翻刻され、幕末の医学に影響を与えた。



3. 蘭書国字訳(らんしょこくじやく)

長嶋元長写 天保13[1842]写
九州大学医学図書館所蔵(和漢古医書/ラ-4)【 精細画像

蘭書国字訳




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