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武谷文庫
目録
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※昭和20年頃に作成された旧寄託目録
概要
福岡の医家武谷家の資料で、武谷家と九州大学附属図書館との寄託契約により、中央図書館において保管している。九大の学祖の一人、武谷祐之の自筆資料・書簡類を中心とし、父の元立及び養子の武谷水城旧蔵資料も多数含む。
経緯
1945年5月、附属図書館が武谷止孝氏より武谷文庫現品受領
1948年頃、寄託契約締結か
1971年、武谷文庫返却
2019年、キャンパス移転期に発見された資料の中に、武谷文庫未返却資料が含まれていることを確認
2020年12月、未返却資料を中心に武谷家と九大との間で寄託契約締結
【未返却資料の内訳】
・返却時に寄託目録と照合ができずに取り残されたものと思われるもの(寄託目録に「漢学関係」、「武谷祐之草稿類」等個別の資料名で記載されなかった資料)130点。武谷祐之の自筆草稿類の他、近代以降のパンフレット類や一紙物が中心。
・故檜垣元吉教養部教授が生前武谷文庫から研究のために借り出していた資料が、没後に武谷文庫であることが分からなくなり、遺族より九大に寄贈された資料(檜垣文庫)の中に混入していたと考えられるもの(現在約120点で今後の調査により随時追加予定)。書籍書画古文書類が中心。
【新規追加資料】
・2020年の寄託契約時に、武谷家より武谷祐之写真、医業免許鑑札願の2点が寄託資料に追加された。
なお、1971年に九大から返却された武谷家の資料の一部が福岡県立図書館に寄託され(『武谷文庫目録稿』参照)、近年、武谷家に残されていた資料も追加で寄託され、現在整理中である。
武谷祐之(1820~1894)
福岡藩医。号は椋亭・澧蘭、字は元吉。武谷家は鞍手郡高野村の医家で、父元立(名は是明、字は子峻、号は幽蕙、1785~1852)はシーボルトに学んだ福岡藩蘭方医学の先駆者。月形鷦窠、広瀬淡窓に儒学を、緒方洪庵に西洋医学を学んだ。郷里の筑前福岡に戻り、種痘の普及に務めた。福岡藩主黒田長溥の侍医となり、慶応3年に藩医学校賛生館(九州大学医学部の淵源)の創立に尽力し、その初代提挙(督学)となった。著に『牛痘告諭』等。
武谷水城(1852~1939)
陸軍軍医、郷土史家。福岡藩士尾石信一の二男尾石豊として、筑前国御笠郡水城村に生まれ、後に武谷祐之の養嫡子となった。明治23年(1890)以降は、出身地にちなんで名を水城とした。藩校修猷館および文武館に学んだ後、金沢医学校・旧陸軍軍医学校に入学した。陸軍軍医として、西南戦争や日清戦争に参加、陸軍軍医監を務めた後、予備役に編入し、福岡に戻って筑紫史談会を創設するなど、郷土史研究に尽力した。養嫡子は九州帝国大学医科大学内科学第二講座二代教授の武谷廣(1875-1941)。
参考文献
- 富士川游「武谷幽蕙先生」(『中外医事新報』763、1912)
- 大熊浅次郎「史学界先覚武谷水城翁の遠逝を悼む」(『筑紫史談』75、1939)
- 井上忠「武谷家所蔵蘭学者書翰の紹介」(『西南学院大学文学論集』4(3)、5(3)、『西南学院大学文理論集』 1(1-2)、『九州文化史研究所紀要』8・9、1958-1961)
- 武谷祐之著・井上忠校訂「南柯一夢」(『九州文化史研究所紀要』10-11・14、1963-1969)
- 福岡県立図書館編『武谷文庫目録稿』1992-1993
- W・ミヒェル、鳥井裕美子、川嶌眞人共編『九州の蘭学 : 越境と交流』思文閣出版、2009
- 青木歳幸、大島明秀、W・ミヒェル編『九州の種痘』天然痘との闘い、岩田書院、2018
収録範囲(年代)
近世・近代
配架場所
貴重書室
利用注記
中央図書館 資料配置 貴重書室をご覧ください。
関連サイト
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