立花宗茂書状(富士谷文書)及び『福岡城下絵図』『正保四年六月南蛮船渡来之節海岸御備之図』をデジタル公開しました

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九州大学附属図書館付設記録資料館九州文化史資料部門が所蔵し、同部門においてデジタル化された富士谷文書及び『福岡城下絵図』(吉田家文書)『正保四年六月南蛮船渡来之節海岸御備之図』(松木文庫)を九大コレクションで公開しました。
富士谷文書は、京を拠点に柳川藩主立花家の「御用」を勤めた富士谷家旧蔵文書で、今回公開されたのは、柳川に再封される前後から晩年に至るまでの初代藩主立花宗茂の書状を中心とする9巻182通です。江戸初期における宗茂の生活や人となりを知るうえで貴重な史料となっています。

資料一覧

九大コレクション > 貴重資料 > 富士谷文書

立花宗茂書状 寛永19年(1642)9月11日 富士谷文書
晩年の宗茂は、眼病のため花押に代えて「fida」(飛騨守)のローマ字印を用いている。世を去る2ヶ月ほど前に出された書状だが、京の商人三宅宗知の病状に気を配っており、宗茂の誠実な人柄が窺える。

福岡城下絵図 吉田家文書
西は樋井川から、東は中島町までを図示し、特に唐人町から中島町までの主要街路沿いの町並みを描き、板葺の町並みに瓦葺の建物が見られるなど、福岡市街の景観を考えるうえで参考になる。本図の年代は不明であるが、寛永2(1625)年構築の御座船鳳凰丸用の堀らしきものが描かれることから、近世前期の城下町の景観が描かれている可能性がある。

正保四年六月南蛮船渡来之節海岸御備之図 松木文庫
正保4年(1647)、ポルトガルが貿易再開を求めて長崎に艦隊を派遣した際、長崎奉行は長崎港内に船橋設けてポルトガル船の脱出を防ぐとともに九州諸藩の大名に命じて長崎の警備にあたらしめた。この事件は鎖国後の長崎にとって重大事件で、後世数多くの絵図が描かれた。本図もその一つ。

公開画像の二次利用

公開された画像を利用される際は、事前の利用申請は不要ですが、「九州大学附属図書館付設記録資料館九州文化史資料部門」の所蔵であることを明記してください。また、出版物等に掲載される場合、成果物を一部、九州大学附属図書館付設記録資料館九州文化史資料部門に寄贈していただきますよう、お願いいたします。
所蔵館:記録資料館 九州文化史資料部門

参考文献

穴井綾香「富士谷文書「立花家歴代藩主書状」について」(『九州文化史研究所紀要』51、2008)
『柳川市史』史料編5近世文書(後編)(柳川市、2012)
佐伯弘次・小林茂「近世の福岡・博多市街絵図―公用図について」(『歴史学・地理学年報』16、1992)
梶嶋政司「「古地図」について:九州文化史所蔵の福岡城下図」(貴重文物講習会第5回、2008)
中村質「初期長崎地図に関する書誌的考察」(『日本歴史』235、1967)

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