桑木文庫

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所蔵館 : 中央図書館
  • 点数 : 5,027冊
  • 属性 : 文庫
  • 主な資料種別 : 和本, 漢籍, 和書, 洋書
  • 分野 : 理学

桑木文庫は、九大理学部の基礎を築いた工学部教授・桑木彧雄が、工学部数学物理学教室に蒐集した科学史文献を、理学部移管後に斯く称したものであり、国内有数の科学史コレクションとして知られている。

概要

桑木文庫は、日本科学史学会(The History of Science society of Japan)の初代会長であった、故九州大学工学部教授桑木彧雄(Kuwaki, Ayao, 1878-1945)博士が、当時の講座研究費の大部分を注いで蒐集された西洋・東洋・日本の科学史関係の文献が主をなしている。数学・物理学・天文学・ 哲学の古典、江戸期和算書等約2,800点に及ぶものであり、文献は散逸することなく九州大学附属図書館において貴重図書として管理されている。

科学史研究は古くはヨーロッパの各大学で19世紀から始められていたが、日本における近代的研究の種は桑木博士によって初めてまかれたといってよい。文献の中には W.Gilbert の“ De Magnete ”(1600)、Delambre の“ Histoire de L'astronomie an dix-huitieme Siecle ”(1827)あるいは H.Hertz の全集(3巻)(1894)などの貴重な本も少なくない。

「九大コレクション」貴重資料画像の桑木文庫の中で一部公開されている。

桑木文庫中の狩野亨吉旧蔵書については「狩野文庫」参照。

なお、桑木文庫には桑木彧雄の個人蔵書は基本的に含まれていない。書簡・日記等の桑木個人が所蔵していた資料は早稲田大学図書館に所蔵されている。

目録

  • 九大コレクション > 桑木文庫(下記両方を含む)
  • A『自然科学古典目録』
    項目: 書名 著者名 冊数 形態・大きさ 年代 工学部時代備品番号
    現在確認できる最も古い目録。備品番号が工学部時代であること、この目録に記載されながら不明になったものは、理学部に移管されていないことから、工学部時代に作成されたものと思われる。通し番号はないが、和書はDと同じ『長崎通詞由緒書』まで掲載されており、分類順の排列も変わっていない。洋書は「Foreign Books on Japan and China」と「Periodical」のみ記載されており、桑木が退官した昭和13年以降の出版物が基本的に含まれておらず、桑木文庫の本来の形を窺うことができる。
  • B「科学史資料―九州大学所蔵―」『科学史研究』10(1949)
    項目: 著者名 書名 年代
    洋書のみの著者順目録で、「Foreign Books on Japan and China」に入っていた図書も含まれている(191点)。
  • C「科学史文献資料―九州大学所蔵―」日本科学史学会九州支部,44p
    項目: 通番 著者名 書名 年代
    洋書のみの著者順目録で、内容的にはEの(Ⅰ)と重なるが、通し番号は、589まではEと同じだが、それ以降は560に番号が戻る等、混乱が見られる。作成年代は不明だが、旧理学部図書室所蔵本に押印された物理学教室の受入印に「昭和33年4月11日」とあるので、その頃の作成と思われる。
  • D『科学史文献資料 : 九大所蔵〔日本科学、東洋科学関係〕』日本科学史学会九州支部
    体裁はAと同じだが、通し番号が記載されている。作成された年代は不明である。
  • E「科学史文献資料(Ⅰ)(Ⅱ)―九州大学所蔵桑木文庫目録―」『科学技術史研究』2(1968)
    項目:通番 書名 著者名 年代
    目録では初めて「桑木文庫」の名称が使用される。(Ⅰ)西洋科学関係(1084点)(Ⅱ)日本科学・東洋科学関係(1747点)に分かれる。A・D同様(Ⅱ)の末尾に「Foreign Books on Japan and China」の図書が記載されているが、(Ⅰ)はCをベースにしつつ増加したものなので、「Foreign Books on Japan and China」の図書も引き続き含まれており、結果的に「Foreign Books on Japan and China」の図書は二重に記載されている。記載内容はDよりも簡略化されている。
  • ​F「桑木文庫和書目録」(Excelファイル)
    Dの和書のみの目録をエクセルのデータにし、平成24年度の調査・再整理の結果により不明図書や編入分の情報を追加したもの。備品番号と受入日により推定される狩野本を抽出できるようにした。

以上の冊子体の目録は誤りも多いので、九大コレクション等のデータとの照合が必要である。

参考文献


桑木彧雄名誉教授について

経歴

  • 明治11(1878)年9月9日 東京で生まれる。
  • 明治32(1899)年 東京帝国大学理科大学物理学科を卒業。 東大の物理学教室では「力学」に関心を持ち研究に着手。
  • 明治36年頃 東京物理学校で講師となる。
  • 明治39(1906)年7月7日 東京数学物理学会で「絶対運動論」という論文を初めて発表。
  • 明治40(1907)年 文部省によってヨーロッパ留学を命じられる。
  • 明治41(1908)年から「東京数学物理学会記事」に論文を寄稿。 福岡市戸畑市に日本で初めて私立工業専門学校として創立された明治専門学校の教授となる。
  • 明治42(1909)年3月 アインシュタインと会見。
  • 明治44(1911)年 九州帝国大学工科大学が開設されると、帰国とともに九州帝国大学工科大学の講師に転任。
  • 大正3(1914)年 理学博士の学位を受ける。
  • 同年4月 教授に就任、昭和13(1938)年まで九州帝国大学の「力学」の講座を担当して定年退官となる。
  • 九大定年後、直ちに松本高等学校(旧制)の新設にともなって校長に就任(昭和17(1942)年辞任)。
  • 昭和16(1941)年 科学史学会創立に際して初代会長となる。
  • 昭和20(1945)年5月16日 信州渋温泉に近い疎開先である平穏村で、現在の病名である心筋梗塞(?)で亡くなる。戒名は「護国院殿桑実彧山大居士」として、菩提寺である東京都文京区向丘2-26-9の真浄寺に永眠している。

業績

  • 明治39(1906)年7月7日 東京数学物理学会で「絶対運動論」を初めて論文として発表。
  • 明治41(1908)年 『東京数学物理学会記事』に論文を寄稿する。
  • 明治44(1911)年 『東京物理学校雑誌第232-234号』に「相待原則ニ於ケル時間及空間ノ観点」を発表、日本で最初の相対論解説であった。
  • 大正6(1917)年 『日本及日本人』正月特集号に「力学の見方」を寄稿。
  • 大正10(1921)年9月 『物理学序論』(下出書房刊)
  • 大正10(1921)年10月 『絶対と相対』(下出書房刊)
  • 大正11(1922)年6月 『物理学と認識』(改造社刊)
  • 大正13(1924)年12月 教科書『中等学校用物理学教科書・実験書』を刊行、昭和13(1938)年頃まで改定を重ねる。
  • 昭和9(1934)年9月 改造社から『アインシュタイン傳』を刊行したが、この著書はサイエンス社から長男の桑木務と西尾成子両氏によって増補再版された。
  • 昭和18(1943)年12月 「磁石及琥珀に関する東洋科学雑史」、「本木仁太夫良永の事績」、「帆足萬里」、「指南車及羅針盤史雑考」等を集録して『科学史考』(河出書房刊)を刊行した。まさに科学史家として面目躍如たるものがある。

訳本としては、長岡半太郎と共訳の『ローレンツ物理学 上・下』(大正2(1913)年6月富山房刊)、ラグランジュ著『解析力学抄』の訳本(大正5(1916)年4月丸善刊)がある。

桑木博士は九大に転任すると、江戸時代の科学史に関心を持つ機会を得た。長崎で本木、志筑等蘭陀通詞の訳稿等を見、また大分で梅園及萬里の著述・草稿等 を見てから、日本中国の科学の古文献を、続いて西洋の科学史文献を蒐集し、20年余りの間に相当の量に達した。また、狩野亨吉の日本の古歴史天文書、物理学史の Edmund Hoppe の遺蔵である科学史文献500-600冊を譲り受けたものも含まれている。

参考

  • 會田軍太夫「九大時代の桑木彧雄先生」『自然』1981年12月号
配架場所
準貴重書室
利用注記

中央図書館 資料配置 準貴重書室をご覧ください。

デジタル化済み資料は九大コレクションからご覧いただけます。

 

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