MEDICAL LIBRARY PORTAL

九州大学附属図書館企画展
「東西の古医書に見られる身体」−九州大学の資料から−」
平成10年5月11日ー17日

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(XII)身体を語ることば


早くから医学においては用語を統一し、その内容を定義することにより医師たちのコミュニケーションを確実にする必要があった。中世の学者が行った古典の研究や解釈が用語辞典の発展に大いに貢献し、18世紀以降、医師以外の知識人のための辞書も次第に増えてきた。

ヴォイト『医学および自然科学の宝殿』ライプチッヒ、1751年。D. Johann Jacob Woyts Gazophylacium Medico-Physicum, oder Schatz-Kammer Medicinisch- und natuerlicher Dinge [...]. Leipzig bey Friedrich Lanckischens Erben 1751. 【九州大学附属図書館医学部分館蔵】


18世紀にヴォイトが出版した一般向けの医薬学用語辞典はすでに2380ページある。

早くから医学においては用語を統一し、その内容を定義することにより医師たちのコミュニケーションを確実にする必要があった。中世の学者が行った古典の研究や解釈が用語辞典の発展に大いに貢献し、18世紀以降、医師以外の知識人のための辞書も次第に増えてきた。




先駆者の苦労


紅毛流の写本に見られる語彙集。ラテン語、ポルトガル語、オランダ語などが混在している。

アルデリヤト云ハ心経[!]ヨリ出ル血ナリ。此血色少薄シテ上々ノ紅ノ如シ出ルニ走リトブスヘヤト云ハ肝経[!]ヨリ出ル。 arteria 羅・葡、動脈。veia 葡、静脈]
ネルボト云ハ髓筋[!]ノ事ナリ。髓筋ト云ハ筋ニ血モナク堅筋也。nervo 葡、神経]
カンコロウト云腫物ハ血ノヲリノコガレタルヨリ出ルナリ。cancro 葡・西、癌]
ヱンフラストゲリジウン 是モ骨ヲツキ手足クジキタルニヨシ。emprasto cerisium 葡 / 羅、膏薬の一種]
ヘイヒリト云テ熱ノ事也。febre 葡・西、熱]
金瘡 ハルスヲンドト云ナリ。harswond 蘭、心臓の傷]
血止石ハブルウトステント云石ナリ。bloedsteen 蘭、赤鉄鉱]
「阿蘭陀外科醫方秘傳」より東京、故佐藤文彦蔵

杉田玄白の回想録は、外国語を参考資料もなく、その背景についての深い知識もなく理解しようとすれば、どれほどの困難が伴うのか、極めて印象的に述べている。

一 その翌日、良沢が宅に集まり、前日のことを語り合ひ、先づ、かのターへル・アナトミアの書にうち向ひしに、誠に艫舵なき船の大海に乗り出だせしが如く、茫洋として寄るべきかたなく、たゞあきれにあきれて居たるまでなり。されども、良沢はかねてよりこのことを心にかけ、長崎までも行き、蘭語並びに章句語脈の間のことも少しは聞き覚え、聞きならひし人といひ、齢も翁などよりは十年の長たりし老輩なれば、これを盟主と定め、先生とも仰ぐこととなしぬ。翁は、いまだ二十五字さへ習はず、不意に思び立ちしことなれば、漸くに文字を覚え、かの諸言をも習ひしことなり。

一 さてこの書を読みはじむるに如何やうにして筆を立つべしと談じ合ひしに、とてもはじめより内象のことは知れがたかるべし、この書の最初の仰伏全象の図あり。これは表部外象のことなり、その名処はみなれたることなれば、その図と説の符号を合せ考ふること昨、取付きやすかるべし。図のはじめとはいひ、かたがた先づこれより筆を取り初むべしと定めたり。即ち解体新書形体名目篇これなり。その頃はデノヘッドノ、またアルス、ウェルヶ等の助語の類も、何れが何れやら心に落付きてれ弁へぬことゆゑ、少しづつは記憶せし語ありても、前後一向にわからぬことばかりなり。たとへぱ、眉(ウェインブラーウ)といふものは目の上に生じたる毛なりとあるやうなる一句も、彷彿として、長き春の一日には明られず、日暮るゝまで考へ詰め、互ひににらみ合ひて、僅か一二寸ばかりの文章、一行も解し得ることならぬことにてありしなり。(杉田玄白著『蘭学事始』文化12年(1815年)より)




学術用語の波

田中和美編輯『解剖攬要』明治元年。【九州大学附属図書館医学部分館蔵】

19世紀の医書。ここでは西洋の用語をすべて日本語に翻訳しようと試みている。




言葉の遺産

近代医学が発達した後も、ギリシア・ガレノス派の体液論に見られる語は、医学に限らず日常語にも多く生き残っている。意味がかなり変わってしまうことも多い。日本語に外来語として取り入れられたものもある。

pathological terms

医学の発展のようすは、現代語にもその痕跡を留めている。たとえば日本語では体内の現象を表すことばは、ほとんどが中国語に由来している。英語でも事情は酷似している。体内器官などにゲルマン語はほとんど見られない。




「気」の哲学に影響され、今日でも日常会話に語や用法が頻繁に見られる。日本語や中国語を学ぶ欧米人にとってこの隠喩を理解することは容易ではない。

気があせる。 気が違う[変になる]。 気が小さい[弱い]。 気が引ける。 気がいらいらする。 気が気でない[もめる]。 気が気でなく。 気が腐る。 気が置けない。 気が置ける。 気が大きい。 気が大きくなる。 気が臆する。 気が重い。 気が楽になる。 気が済む。 気が立つ。 気が転倒する。 気が転倒して。 気がとがめる。 気が遠くなる。 気が若い。 気が変わる。 気がない。 気が揃う。 気が揃わない。 …したい気がする。 気がめいる 気を吐く。 気を晴らす。 気を引き締める。 気を引き立てる。 気をくじく。 気を狂わせる[変にさせる]。 気を腐らす。 気を回す。 気を揉む。 気を持たせる。 気をのまれる。 気を落とす。 気を確かに持つ。 気を取り直す。 気をつかう。 気を強く持つ。 気を失う。 気を失って。 気を配る。 気を引く。 気を引いて見る。 気を入れてやる。 気を変えて。 …する気をなくさせる。 気を揃えて。 気をまぎらす。 気を悪くする[(人を)不快にする]。 気を悪くさせないで。 気を悪くした。
気にさわる。 気に病む。 気に食わない。  気は心で。 気は確かである。
気の合った同士。気の変な人。 気の勝った女。 気の変わりやすい。 気の狂った。 気のない。 気の荒い。 気の強い。 病気・元気・邪気・天気



heart

心臓は特に感情の所在する所と考えられていた。今日でも西洋語には、この昔からのイメージに由来する言い回しがたくさん残っている。

heart

恋するのは、アモルの矢が心に刺さったからだ。

(生理的な意味の)心臓;心室

(感情などの存在場所として見た)胸、心臓

  • have the heart in the right place    親切気がある、人情味がある、悪意がない
  • My heart leapt in my mouth.    びっくりした
  • My heart leaps up.    心は踊る
  • My heart sat within me into my boots.    がっかりした、意気消沈した
  • near (to) one's heart    いとしい、大切な
  • My heart is full.    私は胸が一杯です
  • 心;心の奥、心底、本心;感情); 気持、気分

  • a change of heart 回心、改宗
  • at the bottom of one's heart    内心では、腹では
  • I cannot find it in my heart to speak.    話す気になれない
  • He is a kind man at heart.    根は親切者だ.
  • eat one's heart out    悲しんでくよくよする、悲嘆に暮れる
  • heart to heart    腹を割って、腹蔵なく.
  • in (good) heart    元気で



  • 日本人の「腹」

    一連の関連表現からわかるように、腹の部分には感情や考え方、意図などが集約している、と伝統的に考えられていた。

  •  心に思うこと。考え。心中。
    「腹を探る」「腹を読む」「腹を割って話す」(包み隠さず真意を告げる)「腹に収める」(聞いた事を心中にとどめたまま、人に漏らさない)「腹に一物(いちもつ)」(何かたくらみがある)「腹が黒い」(心に悪だくみがある)「腹を合わす」(しめし合わせる)
  •  物事を恐れない気力。
    「腹が出来ている」「腹が太い」「腹を据える」(覚悟を決める)「腹をくくる」
  •  気持ち。
    「腹が立つ」(怒る)「腹を立てる」(同左)「腹にすえかねる」(怒りをおさえることが出来ない。がまんができない)「腹が癒(い)える」(気持がおさまる)
  •  【丹田】へその下の辺の所。「臍下丹田」▽ここに力を入れると元気や勇気が出るといわれる。
  •  【切腹】自分で腹を切って死ぬこと。

  • 無分流腹診法

    腹部を全身の略図としてとらえ、腹診によって臓腑経絡の異常を把握しようとするものである。無分斉は腹部打鍼術の祖。

    
    
    




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