MEDICAL LIBRARY PORTAL

九州大学附属図書館企画展
「東西の古医書に見られる身体」−九州大学の資料から−」
平成10年5月11日ー17日

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(IX)西へ伝わる東洋医学


あまり知られていないが、ヨーロッパ人は16、17世紀には既に東洋の伝統医学について研究していた。



ボント著『インドの医学について』

鍼術に関する初期の記録としてはVOCの医師ヤーコプ・ボントによるものが有名である。ただしボントは鍼についてまだよく知らず、誤解もあったようである。

「私は日本での奇蹟に近い結果について話そう。頭の慢性痛や、肝、膵の障害や肋膜炎に対しても、彼らは銀や青銅で作られた針で、7弦琴の糸より細かい孔をあける。私自身がジャワで見たところでは、針はゆっくり静かに上述のところを反対側に出るまで通すべきである。」
de Bondt

ボント『インドの医学について』ライデン、1642年。Jacobus Bontius [Jacob de Bondt]: De medicina Indorum. Lugduni Batavorum: Apud Franciscum Hackium, 1642. 【九州大学附属図書館医学部分館蔵】




ヨーロッパ人が初めて東洋医学を体験した場は中国ではなく、東南アジア及び日本であった。1603年にイエズス会士が長崎で刊行した「日葡辞典」にはすでに、「捻鍼」、「三焦」、「経絡」、「灸」や「百会」などの専門用語が見られる。当時の書翰などから宣教師たちが鍼灸の治療を受けていたこともうかがえる。しかしヨーロッパでの灸術熱がその口火を切ったのは17世紀後半の書物においてであった:

  •  ブショフ『痛風と、確実で有効な治療薬について』アムステルダム、1675年 (Herman[us] Busschof: Het Podagra, Nader als oyt nagevorst en uytgevonden, Midsgaders Des selfs sekere Genesingh of ontlastend Hulp-Mittel. [...] Amsterdam [...] 1675)
  •  テン・ライネ『関節炎に関する論文。鍼術について』ロンドン、1682年 (Wilhelm[us] ten Rhyne: Dissertatio de Arthritide: Mantissa Schematica: De Acupunctura: Et Orationes Tres. Chiswell, London 1683)
  •  ケンペル『廻国奇観』レムゴ、1712年(Engelbert Kaempfer: Amoenitatum exoticarum politico-physico-medicarum fasciculi 5. Lemgo, Meyer 1712. )



出島オランダ商館


Montanus: Dejima

アルノルドゥス・モンタヌス『オランダ東インド会社日本遣使録』アムステルダム1669年。Gedenkwaerdige Gesantschappen der Oost-Indische Maetschappy in't Vereenigde Nederland, aen de Kaisaren van Japan [...] Getrokken uit de Geschriften en Reiseaentekeninge der zelver Gesanten, door Arnoldus Montanus, t' Amsterdam, By Jacob Meurs [...] 1669. 340 x 250mm.【九州大学附属図書館医学部分館蔵】

出島商館で勤務するヨーロッパ人たちの滞在期間はイエズス会士よりも短く、日本の言葉及び文化について勉強するための条件も大変厳しかった。また、出島の「阿蘭陀通詞」の語学力も元禄頃までは医学書を理解し説明するには不十分であった。そのため、鍼灸の論理的な背景を正確に把握するには至らなかった。

ブショフの著書および出島商館長クライアーから入手した情報に基づきドイツの博物学者ミハエル・ベルンハルト・ヴァレンティーニ(Michael Bernhard Valentini, 1657-1729)は1704年に刊行された本にお灸について詳細に紹介する。治療の説明文を元に銅版画家が彫った東洋風の挿し絵に治療点および灸に火を付けるための線香が見られる。日本語のもぐさに由来する用語Moxaは今日でもドイツ語、英語、フランス語などの西洋言語に用いられている(moxa, moxibustionなど)。

ミハエル・ベルンハルト・ヴァレンティニ『万物の舞台』 フランクフルト1704年。Museum Museorum Oder Vollstaendige Schau=Buehne Aller Materialien und Specereyen [...] von D. Michael Bernhard Valentini [...] Franckfurt am Main / In Verlegung Johann David Zunners. Im Jahr 1704. p.229.【九州大学附属図書館医学部分館蔵】

Valentini: Moxa



2種類の鍼

最初にヨーロッパに紹介されたのは日本の鍼である。2種類の型があったのは中国の鍼ではなく、当時の日本人鍼師による独自の発明であった。

管鍼(杉山和一による発明)
Engelbert Kaempfer: kudabari

ケンペル『日本誌』ロンドン1727年。Engelbert Kaempfer: The History of Japan. London 1727.140 x 90mm. 【九州大学附属図書館医学部分館蔵】

打鍼はまもなくすたれてしまったが、管鍼は使いやすく今日でも世界中で評価されている。


打鍼(御園意斉による発明)
Engelbert Kaempfer: uchibari

ケンペル『日本誌』ロンドン1727年。Engelbert Kaempfer: The History of Japan. London 1727. Vol. 2, TabXLIII, 140 x 40mm. 【九州大学附属図書館医学部分館蔵】

【参考資料】 御園流の打ち鍼(槌:95 x 20mm、金針:100mm 、レプリカ、W. Michel蔵)

【参考資料】 現在の管鍼(管:65mm、針:70mm、セイリン製)




テン・ライネの著作に見られる打鍼

出島商館医ヴィレム・テン・ライネ(日本滞在は1674−75)テン・ライネは鍼術の訳語として「acupunctura」を考えだした(acu=鍼、pungere=刺す)。この語は今日の西洋のほとんどの言語に定着している。

ten Rhyne: Needles

テン・ライネ『鍼術について』ロンドン1683年。Willem ten Rhyne: [...] De Acupunctura. [...] R. Chiswell, London 1683. 70 x 160mm. 【個人蔵】


【参考資料】出島商館医ヴィレム・テン・ライネの著書に見られる鍼(打鍼)。


テン・ライネの著書に見られる経絡図(mantissa schematica

皮を剥がれたエコルシェふうの「経絡図」
ten Rhyne: fig.2 ten Rhyne: fig.3

【参考資料】「鍼灸のための、身体の前部にある特別な点を示す中国風の図」。ヴィレム・テン・ライネ『鍼術について』Tab. 2.

【参考資料】「あらゆる病状のもとで、灸をすえ鍼を打つための身体の前側面すべての場所をわかりやすく書いている。緑のしるしは鍼の治療点、赤色は灸のためであることを示す」※(ヴィレム・テン・ライネ『鍼術について』)※ 足の太陽膀胱経だと思われる。Tab.3.




「日本の図」
ten Rhyne: fig.4 ten Rhyne: fig.5

【参考資料】「日本の図。前図と同様の身体の背面図を示す」(ヴィレム・テン・ライネ『鍼術について』)Tab.5.

【参考資料】 「日本の図。痛みや種々の状態のために、焼くべき身体の前面にある全部の点を示す」ヴィレム・テン・ライネ『鍼術について』)Tab.4.





エンゲルベルト・ケンペルの研究

優れた観察力と方法論を持つドイツ人医師エンゲルベルト・ケンペル(Engelbert Kaempfer,1651-1716))。18世紀のヨーロッパにおける日本像はケンペルによって形成されたといっても過言ではない。彼は日本滞在中(1690〜92年=元禄3−5)に図版入りの文書を手に入れ、通詞だった今村源右衛門の説明をうけたが、患部と治療箇所の関係をケンペルは理解していなかった。

「灸処鏡」
Kaempfer: Kyushokagami

ケンペル『廻国奇観』レムゴ1712年。 Engelbert Kaempfer: Amoenitatum exoticarum politico-physico-medicarum fasciculi 5, [...] Lemgoviae, Meyer, 1712. 210 x 160mm. 【九州大学附属図書館医学部分館蔵】


ケンペルの図版に携わる銅版彫刻家は、構造を理解していない漢字を左右逆に彫らなければならなかった。読み仮名を付した文字もある。この身体図は「日本式」で、両手両足がまっすぐに伸びている。



Engelbert Kaempfer: Kyushokagami

ケンペル『日本誌』ロンドン1727年。Engelbert Kaempfer: The History of Japan. London 1727. Vol. 2, Tab. XLIV, 360 x 260mm. 【九州大学附属図書館医学部分館蔵】

ケンペル著の『日本誌』(1727)の付録に見られる身体。ヨーロッパの読者が求める理想的な身体像に応じ、ギリシア古典主義に由来する立足と遊び足を取り入れ、片方の手を挙げて姿勢に力感を与え、褌はイエスを思わせる亜麻布に変えられている。

Engelbert Kaempfer: MS-Skizze Engelbert Kaempfer: Koliktherapie

(イ)ケンペルが日本で描いたスケッチ(ca. 50 x 30mm、大英図書館、スローン・コレクション)

(ロ) エンゲルベルト・ケンペル『日本誌』ロンドン1727年。 Vol. 2, Tab. XLIII. 【九州大学附属図書館医学部分館蔵】

ケンペルは疝気で日本の鍼を学んだが、これは中国の経絡観によるものではなかった。彼は鍼を刺す9点の位置を簡単に図示している(イ)。読者の好みに応えるよう、版画家は(ケンペルの了解を得て)官能的な姿勢の日本女性を付け加えている(ロ)。この女性が何を手本にして書かれたのかはわからない。




カール・ペーテル・ツュンベリー(1743−1828)

博物学者リンネの弟子ツュンベリーは出島商館医(1775−76、安永4−5)を務めながら、積極的に最新の情報を収集し、特に我が国の動植物の分野において歴史に残る業績を残している。ドイツ人ケンペルやシーボルトと並び、スウェーデン人ツュンベリーは「鎖国時代」の三大日本学者として高く評価されている。当時広く読まれた著書『ヨーロッパ、アフリカ、アジア旅行記』には鍼灸に関する記述も見られる。

  • カール・ペーエテル・ツュンベリー『ヨーロッパ、アフリカ、アジア旅行記』 パリ1796年。Voyages De C.P.Thunberg, Au Japon, [...] Par L. Langles [...] Tome I - IV. Paris 1796.  【九州大学附属図書館医学部分館蔵】



フランツ・ヒューボッター

今世紀になって東洋医学に対する関心を新たに呼び覚ました医師たちの中に中国在住のドイツ人フランツ・ヒューボッター(Dr. Franz Huebotter)がいた。漢字には活字がないことも多く、本全体が複写された。ヒューボッターも中国語の読み書きはできたのだが、16世紀のイェズス会士と同様、経絡を血路と誤って解釈していた。

ヒューボッター『20世紀初頭の中国医学とその発展史』
Huebotter: Hauptadern-Liste Huebotter: Yin-Adern am Bein

Franz Huebotter: Die Chinesische Medizin zu Beginn des XX. Jahrhunderts und ihr historischer Entwicklungsgang. Leipzig 1929。【九州大学附属図書館医学部分館蔵】








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