知識の全て:encyclopaedia
1500年前後に生まれた「encyclopaedia」(enkyklios=円満、paidea=教育)という語は、ヨーロッパでは17、18世紀以来、体系的に整理された広範な教養を表している。同時にその時代あるいはある分野の知識全体を包括した書物も百科全書と呼ばれるようになった。
最初の百科全書はプラトンの弟子が編集したと言われ、プリニウス(3世紀)による『博物史』(Naturis Historia)が有名。ルネサンス期の書名に、初めて「encyclopaedia」という名称が使われている。啓蒙思想の広がりにつれて百科全書はそれぞれの国語に出版されるようになり、アルファベット順配列、相互参照が用いられるようになった。ディドロと百科全書派が1750年代に編集した書物は事典学の傑作として、「encyclopaedia」(百科全書)という語を一般に定着させた。
啓蒙主義者の百科全書
ヴェサリウス以降の描写法をまとめた、豊富なイラストを含む『百科全書』の図会は、世界的に高く評価され、長い間百科全書の基準となった。
「外科学」の口絵
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ディドロ、ダランベール編『百科全書』パリ1751〜1772年。初版、法学部附属図書館蔵。Jean-Baptiste d'Alembert / Denis Diderot: Dictionnaire Raisonne des Sciences. Paris 1751-1772
【九州大学附属図書館医学部分館蔵】
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東の智恵箱
中国の『類経』の方式はプリニウスの『博物史』に大変似ている。有名になったのは明の李時珍が編集した『本草網目』である。江戸時代では中村■斉の『訓蒙図彙』(寛文6年、1666年)の一冊が元出島蘭館医ケンペル(Engelbert Kaempfer)により18世紀のヨーロッパで紹介された。正徳か享保のころ刊行された図入りの『和漢三才図会』は江戸時代の生活風俗の調査に必携の書となっている。和気仲安門で大阪住の医者、法橋寺島良安が30余年をかけて編纂したものである。所収項目は天・人・地の「三才の大部」に分類される。巻7から巻54までは「人の大部」で、東洋医学の精神において人体を詳細に披露している。図についての記述は学問的な立場よりは、常識的立場を取っている。
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寺田良安『和漢三才図会』正徳2年(1712)
【九州大学附属図書館医学部分館蔵】
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