Kyushu University Medical Library: Collection of Old Medical Books Pictures and Comments
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ヒエロニムス・ファブリキウス Hieronymus Fabricius ab Aquapendente
Hieronymi Fabricii ab Aquapendente, Opera omnia anatomica et physiologica, hactenus variis locis ac formis edita, nunc vero certo ordine digesta, & in unum volumen redacta / accessit index rerum ac verborum locupletissimus, una cum praefatione Bernardi Siegfried Albini. -- Editio novissima. -- Lugduni Batavorum: Apud Johannem van Kerckhem, 1738.
医学分館貴重図書コレクション: WZ 260 F 126 1738
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解剖学者で外科医のヒエロニムス・ファブリキウスは1537年イタリアの小都市アクアペンデンテに生まれ、1619年5月21日パドゥアで没した。ドイツ人の外科医ファブリキウス・ヒルダヌスと区別するため、ふつう「アクアペンデンテ出身の」を意味する「アブ・アクアペンデンテ(ab Aquapendente)」をつけて呼ばれる。彼に師事した英国の医学者ウィリアム・ハーヴェイ(William Harvey)は、彼から静脈弁の仕組みの重要性を学び、これは血液循環の原理の発見に非常に重要な役割を果たした。
ファブリキウスは若い頃、パドゥア(Padua)大学でまずギリシア語、ラテン語、哲学を学び、優秀な成績を収めた。その後医学に取り組み、解剖学教授ファロピウス(Fallopius)に気に入られた。ファロピウスが亡くなると、ファブリキウスは25才の若さでファロピウスの後任として解剖学教授に選ばれ、まもなく外科学教授にも就任した。1562年から1609年まで、解剖学と外科学の講座で50年近くにわたり教鞭を取った。ヴェネツィア都市政府はファブリキウスのために彼の名を冠した大きな解剖学劇場を建て、彼の死後はパドゥアに記念像が建てられた。
ファブリキウスは金銭にはほとんど関心がなく、裕福な患者からどうしてもと迫られたとき以外は、つけ届けなどを受け取らなかった。
解剖学に関する彼の著書は二つ折り版で500ページにのぼり、数百点の挿し絵も含まれている。いくつかの挿し絵は当時としては最高のものであった。解剖学に関する論文も非常に価値あるもので、多くの言語で出版され、20版以上も印刷されている。
主要な論文とされているのは次のものである。
- "De visione, voce, auditu" (Venetia, 1600);
- "De brutorum loquel_" (Padua, 1603);
- "De formato foetu" (Venetia, 1600);
- "De locutione" (Venetia, 1627); "
- "Tractatus anatomicus triplex" (Frankfurt, 1614).
近代の学術的な図の典型としての「図表」(Tableau):豚、羊、ヒトの喉頭の比較
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ファブリキウス『全集』ライデン、1738年。 p. 276, 145 x 115mm.
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身体がほとんど解体されている。部位は比較、規定、分類されて一面に広がっている。この型は今日でも医学だけでなく学術書に広く用いられている。ここには当該の問題に無関係なものは何もない。この「冷たく」客観的な視点には多くの長所があり、大きな成功を収めた。しかしここでは「全体」や、背後にいる人間が忘れられがちになる。
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